2009年1月1日号
     プロフィール
     1945年奈良県生まれ。東京大学法学部卒業後、運輸省入省。自動車交通局長、海上
     保安庁長官などを歴任。2001年に参議院議員となって外務政務官、文教科学委員長を
     務めた。昨年4月の奈良県知事選で初当選。
 西暦2010年には現在の奈良に日本古代の都、平城京が誕生してから1300年を迎える。当地の奈良県で日本国・文化庁が主導し、「平壌遷都1300年祭」が開催される。同行事の趣旨は「日本の始まりである奈良を素材に過去・現在・未来の日本を考える契機にしたい」としている。荒井正吾奈良県知事は「奈良は韓国、朝鮮半島とのゆかりの地が多くあり、渡来文化が中心である」と指摘している。飛鳥文化の担い手は渡来人らであると言われている。飛鳥寺などの寺院づくりに仏教文化を花咲かせた。正倉院には新羅の宝物などが貯蔵されている。日本、韓国はシルクロードの終着点とも言われ、ヨーロッパ、アジアの文化、文物の往来は盛んであった。日本、中国、韓国、北朝鮮がそれぞれの覇権主義、国家エゴイズムを止揚し、正しい歴史認識のもと、真の和解と交流が求められている。昨年10月8日、荒井知事に「平壌遷都1300年祭」の開催意義と東アジアの平和友好への展望を聞いた。   (聞き手・李相善本紙代表 撮影・金鐘典)
在日は歴史舞台の全面に
 ――平城遷都1300年祭の行政代表としてご準備の進展はいかがですか。
 
 奈良は韓国とゆかりの深い地です。そのゆかりを発掘、展示し、皆さんに認識していただこうと、いろいろな活動をしています。それは、奈良の値打ちの非常に大きな部分だと思っています。
今までのゆかりを発掘して、それを将来に繋げていきたい。そのつなぎの大事な部分ですから、これから皆さん(在日コリアン)の出番ですよ。奈良は渡来文化が中心です。その末裔である在日の皆さんが歴史の舞台に登場し、東アジア友好の一翼を担っていただきたい。そして、平城遷都祭を日本人がどのように考えるかで、日本の将来が決まると思います。

 ――そのような認識をされたのは。
 
 去年の6月に、遷都祭のPRでソウルに行きました。そこで皆さんとても親切に迎えてくれて、よけいに韓国とのゆかりを感じました。そこで関係者の方が「日本における韓国の発見」をテーマに研究されていることを聞いて、「ああそうか、こちらは勉強が足りないな」と思ったんです。帰国してすぐに韓国のゆかり発見のチームを作るように指示しました。発掘をし出すと、韓国のゆかりのものがいろいろ出てくると思いますが、それは(在日の)皆さんの誇りですよ。

 ――ソウル以外にも行かれましたか。
 
 扶余にも行きました。忠清南道の知事と仲良くなって、知事に「日本でつまらないことを、『くだら(百済)ない』と言います。それほど、昔は百済が立派なものの象徴だったのでしょう」と言ったら、「それは知らなかった」とおっしゃっていました。忠清南道では「大百済展」が開かれます。忠清南道も韓国の中では経済成長が遅れている地域ですし、地域の発展のために、互いに手を取り合いましょうと話し合いました。
  「大百済展」が皆の注目を浴びて、「面白いな」と思っていただけたらいいですよね。天皇陛下が奈良に来られたときに、「韓国と日本はこんなにゆかりがあるんですよ」とご説明申し上げました。弥勒菩薩も、韓国の国立中央博物館のものとよく似ていますしね。

 ――ソウルの前に上海でもPRをされたそうですね。
 
 上海はわりと早めに行ったのですが、特に揚州での歓迎は凄かったです。そこで市長、総書記に「胡錦涛さんが日本に来られたら、奈良にお越しになられませんか」と言ったら、「絶対に話をします」と言ってくれまして、去年の5月に来庁され、対話が実現しました。
渡来文化は誇り
          奈良と韓国とのかかわりを述べる荒井知事(左) 右は李相善本紙代表(昨年10月8日 奈良県知事室)
 ――遷都祭ではどのようにアピールされますか。
 
 東アジアでは変なナショナリズムが起きないように、地方同士はもう少し長い歴史を見て、仲良くしなければいけません。地方は喧嘩する理由はありませんから。それをこの1300年祭を機会にもう少し主張できたらと思います。
 そして、その交流の歴史があったことを上手く、分かりやすく、展示していきたいです。とくに飛鳥とか、藤原京は韓国の影響を強く受けていると思います。平城京になると、中国の影響の方が強いと思いますが。

 ――飛鳥は百済の影響を強く受けていますよね。
 
 そうですね、影響は強いと思います。韓半島の政治の状況との関連で、人の行き来など随分関係があったと思います。
 
 ――平城京が終わった後のプラン、例えば、日韓友好の資料館などを作られてはいかがでしょうか。

 ゆかり(の史跡など)を発掘、発見して、それを展示するということはあると思います。今度の遷都祭では、遣唐使や遣隋使などの交流の歴史を、映像展示として出す予定です。
 1つの提案ですが、例えば修学旅行で、奈良の旧遺跡の国営公園へ行かれるのもいいと思います。そこで、昔の交流の歴史を知ってほしい。日本だけの歴史ではなく、他国とも交流があったということを。
15年ほど前に扶余の博物館を訪れました。そこでは、百済の都があったときは、日本はどうだったとか、卑弥呼の時代は朝鮮ではどうだったとか、並べて書いてあるんです。
 日本では日中韓、それぞれの時代でこの時代はあの国ではどうだったという年表はないですよね。どこの外国とどのような交流をして、どのような戦争をしたのか、そしてその理由は何だったのか。日本人の国際感覚、外交感覚を養うためにも、そういう展示が遷都祭が終わったあとでもできたらと思います。

 ――韓国人側ももっと勉強しなければいけないと思います。

 奈良に来ていただき、こういう日韓の歴史があったのかと分かってもらいたい。ゆかりがあったことを知らない人がまだ沢山いますからね。
 こういうエピソードがあります。この間、塩川正十郎さん(元衆議院議員)が薬師寺に来られたんです。それで塩川さんが「扶余の近くのお寺を見てきたときに、これは法隆寺そっくりだ」と言ったら、現地の案内人の学者さんに「これが法隆寺にそっくりなわけがないでしょう。法隆寺がこれにそっくりなんです」と叱られたと(笑)。そのようにして文化が伝わってきたのは恥ずかしいことでも何でもなく、今でもちゃんと残っていることを誇りに思います。これがどこかの軍のお城とかだったら、焼失していたかもしれません。
 しかし、日本は宗教を重んじる国で、お寺というものは宗教の対象です。むげに壊してしまうと、たたりがあるかもしれない。宗教施設だからこそ、文化財が守られてきたという面もあったのではないでしょうか。そして、政権が仏教を保護したという時代が、奈良ではありましたから。
平城京で日中韓の首脳会談を
訪韓も回を重ね韓国文化にも造詣が深い荒井知事
 ――日中韓で何かできたらいいですね。

 ここ奈良の地でやることは、とても意味があることだと思います。いいものがあれば、ぜひやりたいですね。中国と日本の交流では、鑑真という非常にシンボリックなものがあります。韓国との交流では、王仁がシンボリックでいいのではないかと思います。

 ――王仁は韓国の人は皆知っていますからね。日韓交流の象徴に最適では。
 
 そうですね。これからは王仁をショーアップしようと思います。

 ――欧州は共同体として成り立っていますが、どうして東アジアはそれができないと思いますか。文化と歴史を     要に、友好ができると思うのですが。

 欧州は統合に至るまでに随分人も殺しましたし、時間もかかりました。アジアが欧州のように、殺し合いをして統合するわけにはいきませんから。19世紀に日本が生きるために、列強と戦ったまではよかったが、軍部が列強の真似をしたのがよくなかった。他のアジアの国々を植民地支配するという、大きな傷跡を残しました。
 韓国はサンドイッチというか、日本の防波堤として随分損をされたと思います。地政学的なハンディキャップもありました。夫婦は別れられるが、隣同士の国は別れられないところがありますから。それをこれから、どう仲良くするか。
 日本人は、「人はあらゆる点で同じじゃないと仲良くできない」と思っている人が多いですが、欧州はその逆で、「違いがあるから仲良くできる」という認識があります。喧嘩もするが、尊敬もする。日本は一旦蔑むと、これはお互い様かもしれませんが、上だの、下だのと激しく罵り合います。欧州はドイツとフランスのように戦争をした国でも多少の我慢はして、誇りをもって仲良くしようとしています。
 「私はあなたの意見とは全く反対だ」と言いながらも仲良くするのは、不思議なことですが、立派なことです。ある面で、今世界をリードできるのはそのようなメンタリティだと思います。
 例えばフランス人は、意見が違うのを尊重しますから。意見が違うから、自分の意見がどういうものか分かるというのは、なかなか論理的なもので、敬意を表すべき考え方だと思います。

 ――2010年を契機にして日中韓が本当の和解をし、仲の良かった時代を想起させましょう。

 日中韓の国同士はいろいろなナショナリズムがありましたが、地方行政同士は仲良くできると思います。だから一度、忠清南道や扶余、中国の揚州など、奈良とゆかり、交流のあった地域に呼びかけて、地方会合を開きたいと思っています。歴史を振り返って、日中韓、三国の地方同盟を結ぶのです。1300年を記念に、友好、交流の歴史があったことをお互いに確認したいですね。

――それは素晴らしいことですね。

 素晴らしいことですよ。中央がいろいろあっても、地方はずっと平和に付き合っていきませんか、と。その刺激を他の国民に与えていきませんかと、確認をする会議を開きたいんです。それをこれから、呼びかけていきたい。そして、その会合が毎年続いていけばいいですね。あとは、日中韓の首脳会談を平城京遺跡でできればと思っています。日中韓が安定するのは、結局は世界のためになるのですから。

 ――貴重なご提言ありがとうございました。。