2010年1月1日号
 行政やマスコミでなど日本社会の第一線で活躍するコリア系の方々にお集まりいただいた
 日本は200万人を超える外国人が居住し、多国籍時代を迎えている一方、人口減少が著しく、今後
外国人の労働力のニーズはますます高まるものと予測される。日本社会形成の過程において、外来種
としての外国人の果たしてきた役割は大きいものがある。なかんずく、その発祥、歴史的経過が特異な
在日コリアンは古くから日本社会の各分野で活躍し、産業、文化、地域コミュニティ形成などで貢献して
いる。行政やマスコミなど日本社会の第一線で活躍中のコリア系の方々にお集まりいただき、日々の奮闘ぶりや日本の国際化などについてのご発言を通じて、明日のよりよき社会を展望したい。
                                           (司会・李相善本紙代表)
<出席者>
  白 眞 勲 参議院議員
  アン・ミカ モデル・TVキャスター
  国本友利 京都府議会議員
  金 明 姫 大阪府寝屋川市ブランド戦略室課長
<司 会>
  李 相 善 本紙代表
現在の取り組み
――第一線でご活躍の皆さんが日頃、どのようなお仕事をされているのか、興味のあるところです。金明姫さんは昨年7月に地方自治体の課長職に韓国籍で初めて抜擢されましたが、現在取り組まれているプロジェクトは。
 金 ブランド戦略室という寝屋川市をイメージアップしたいという願いでできた、行政ではめずらしい名前の部署で勤務しています。民間から見た視点だったり、ノウハウを導入するということで採用していただきました。
2年後に寝屋川市制60年という記念すべき年を迎えます。駅前に大きな道路をつくったり、地域交流センターを建設したり、記念すべき年になりますので、それに向けて準備をしています。寝屋川市が管轄している施設や学校などが150箇所以上あるのですが、順次一つずつ訪問しています。まず中を知らないと外に発信できないということで、そうした施設の職員の方と話し、市民の方とお話をするのが今の仕事です。
――外国名の課長が誕生したということで市民からもいろんな反応があるのでは。
 金 「中国の方ですか」と未だに聞かれたりもします(笑)。ほかに「日本語上手ですね」と言われることもあります。訪問先で、この名前ですし、在日の方に声をかけられるのではないかと期待していたのですが、今の所はないです。これからお会いできたらいいなと思っています。
 アン 在日として、韓国と日本のファッションというカテゴリの中を自由に行き来していましたが、関西出身の文化人や国宝の方をお招きする番組のキャスターをさせていただき、そこから「喋る」というお仕事に移行させていただきました。
四天王寺ワッソというお祭りの広報大使と、韓国の観光名誉広報大使をさせていただいていて、月に1回必ず韓国に帰っています。めまぐるしく変わる韓国の良さを日本に持って帰って、いろいろなところで韓国の良さをお伝えしています。また、韓国では逆に日本の楽しいところ、良いところを紹介し、ツアーや番組なども企画したり、私なりの発信の仕方をさせていただいています。
また、日本における朝鮮史との歴史のまじわりや、韓国において理解されている歴史の事実の両方を勉強しながら、私というフィルターを通して、どちらにも偏らずお伝えさせていただく役割をさせていただいています。行政関係の執筆活動や、甲南大学、神戸大学、阪南大学、神戸女学院さんでも講演をさせていただいております。   
――国本さんは府会議員になられて2年目ですが、今一番力を入れている仕事は。
 国本 われわれ地方議員はやはり地元に張り付いて、地元の方の相談を聞き、どう解決の道筋をつけるかというのが仕事の6、7割になっています。例えば、生活相談であったり、医療相談であったり、家庭不和の問題であったり様々です。一番最初に受けた市民相談が、夜中の2時に電話がかかってきて、道の真ん中に猫が死んでいるから拾いに来てくれというものでした。夜中は保健所が休みです。議員はいわゆるオールフリーの状態なので、電話がかかってくるんです。それでゴム手袋とダンボールとゴミ袋をもって、1人で片付けに行って、翌日に保健所に届けに行きました。
最初の仕事がそれだっただけに、「これが地方議員なのか」とショッキングな反面、自分はこういう道を選択したんだと改めて実感しました。そうした様々な相談や、いろいろな要望といったものを通して、それをどう府政に生かしていくことができるのかというのが、自分自身の最大のテーマになっています。
ほかに今取り組んでいるものは地球温暖化対策です。世界的に問題になっていますが、京都は京都議定書発祥の地ですし、京都がどうリードしていくのか、その方策に今懸命に取り組んでいます。世界的に「DO YOU 京都」というのが1つの言葉になっています。つまり、「あなたはCO2を削減していますか」という意味です。
 ――白さんが本名のままで国会議員になられ、活躍されていることの影響は計り知れないと思います。今はどういったことを重点にお仕事をされていますか。
 白 もともと私がこの世界に入りたかったのは、日韓友好をしたかったからです。隣の国と仲良くできなければ、日本の立ち位置はどうなるんだと。日韓の友好、その先には韓国と世界との友好関係です。
今はいろいろなことに手をかけていますが、数年前からやっているのは、韓国に残されている原爆被爆者の皆さんが原爆手帳をもらえない問題です。原爆手帳をもらわないといろいろな支援が受けられない。その手帳をもらうためには、日本に来てくださいというのは高齢化している被爆者の方にとっては大変です。せめて韓国にある日本大使館がその役割を果たしたらどうかということなど、被爆者援護法を改正する仕事をさせていただいています。
原爆の被爆者援護法は一応通ったので、一歩前進しましたが、まだまだ医療費の問題などもあります。
 ――永住外国人の地方参政権の進展具合は。
 白 ご存知のように、党内にもいろんな意見があって、その意見をどう集約していくかという問題もあります。しかし、私としては党内の議論は一応集約されたと思っています。ただ、昨年の総選挙で、140人以上の新しい議員が入ってきたから、どうするのという話はあります。いちいち選挙の度に新しい人が入ったから、全部ご破算だというはおかしいんじゃないかと思います。そうすると党としての継続性がなくなるわけですから。そういう観点からすると、やはり来年1月の通常国会を1つの目途として、この法案を出すべきだというのが私の考えです。
 ――出自を明確にして議員活動をされていますが現在の心境は。
 白 少なくとも私が国会議員になるためには、当たり前ですが全員日本人が投票してくれたわけです。私は日韓友好を前面に出していたし、「母の国日本、父の国韓国」ということをポスターに掲げ、全国に貼りました。1票しかない自分の大切な選挙権。投票用紙に、「白しんくん」と書いてくれたんです。これは物凄くありがたいことだと思います。20万人以上が書いてくれたのは事実ですから。ということは、日韓友好をするべきだという人がこの国に確実にいるということもまた証明されたわけです。だから、私はやらなければならない。その道に従って、自分ができることをやっていかなければならないと思っています。

信 念・目 標
   白 眞 勲

1958年生まれ。1985年朝鮮日報日本支社入社。1994年同支社長就任。2003年1月日本国籍を取得。「母の国・ニッポン、父の国・韓国」と自ら在日コリアンであることを明確にして2004年の参院選に民主党より当選。現在、経済産業委員会、行政監視委員会、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会(筆頭理事)に所属。明快な解説と闊達な語り口でテレビなどにもコメンテーターとして数多く出演。
   アン ミカ

93年にパリコレに初参加。以後、様々なファッションショーや欧州のファッション誌、広告、CF、映画出演等で活躍するほか、エッセイ執筆や女性のための講演会を開くなど多方面において才能を発揮。現在、日本テレビの人気番組「魔女の22時」にレギュラー出演。明るく飾らないキャラクターで茶の間にも好感度が高い。昨年10月には「肩甲骨美人ダイエット」を出版。02年から03年まで延世大学校韓国語学堂に留学。
    国本友利

1968年、韓国人の父と日本人の母に生まれる。1982年に日本国籍取得。関西創価高校で野球部に所属し甲子園を目指す。2年時秋季大会大阪ベスト8に。2002年ジオジャイロ入社。地質調査技士の資格を取得。土木・防災関連の仕事に従事。阪神淡路大震災時に神戸へボーリング調査・井戸掘削に。2007年京都府府議会議員に初当選。公明党京都府本部青年局次長、公明党左京支部副支部長。
   金 明 姫

三洋電機の研究所に入所。ノースウエスト航空客室乗務員、FedEx顧客サービス業務等を経て数社で人材開発などに携わる。大阪府寝屋川市が今年4月に新設したブランド戦略室の課長職試験に合格。民間企業で広報や接客などの業務に携わった人を対象に公募したところ、23人が応募、唯一外国籍として抜擢された。地方自治体のイメージアップの顔として在日韓国人が選出され、内外に新鮮な驚きを与えている
 ――現場でのやりがいや信念、目標についてお聞かせください。
 アン 芸能界でもお仕事をさせていただいていますが、「韓国のタレントさん」とは言われても、芸能界で在日の人が自ら在日であることを言う人は少ないです。ただ私はすごく恵まれていて、両親の教えで自分が在日であることを誇りに思っていて、本名で仕事をずっとさせていただいています。皆さんに理解をしていただいて、世の中で役に立つ人が在日の中でもっとたくさん現れたら、甘いかもしれませんが、もっといろいろな権利が獲得できるのではないかと考えています。
 ――あるインタビュー記事で7転び15起きとありましたが。
 アン 私は幼少期のころちょっとした事情があって、両親とは住めずに教会で育てていただいた時期がありました。そこで神父様に「幼いころの苦労は神様からの授かり物で、若いときにたくさん苦労をすると大人になって人の役に立つことができる」と教わりました。社会的弱者の理解もできます。
ちょっと転んでも、それを学びだと思って起きるんです。私はつまり1転んでも起きるのは2だと思っているんです。7転び14起きだと語呂が悪いので、何かもう1つ掴んでやろうと、それで15起きなんです。目標はまだ漠然としていますが、もっと知名度を上げるお仕事をどんどんさせていただいて、発信する力がもっと自分に備わったらなと思います。そういう意味で、さらにいろんな分野で活躍させていただきたいなと思っています。
 ――国本さんはいかがですか。座右の銘は「苦に徹すれば珠と成る」だそうですが。
 国本 吉川英治は、僕は大好きで高校時代によく読みました。高校時代は野球をやっていたのですが、本当に練習が辛くて何回も辞めようかと思いました。しかし、その言葉に出会って、とにかく苦しいことに徹し抜いていけば必ず磨かれ、珠になると。それからもその言葉を座右の銘として、今まで取り組んできました。それが自分自身の生き方でもあります。
私は京都市内の部落地域に住んでいて、そこはいわゆる同和の部落と韓国部落が一緒になっている地域なんです。その中で、僕も在日というのでいじめられた経験もあります。様々ないじめを乗り越えてきましたし、父と母から在日であることの苦労から逃げてはいけないということを教わりました。
今は地方議員をやっていますが、今でも正直逃げ出したくなることはいっぱいあります。とくに地方議員はあんなテレビに出てくるような、秘書がいてというのじゃ全然ないんです。これからも様々な困難から逃げずにやっていきたいと思います。
地域のいろいろな方から相談を受けますが、私の意識としては韓国人とか外国人とか分け隔てをするのではなく、皆「地域住民」だと思っているんです。自分の地域に住む住民の方々なんだと。その意識の上で、どうすれば問題を解決できるのかと、一生懸命取り組んでいるところです。
目標としては、これは白先生に非常に期待していますが、公明党も地方参政権獲得はずっと言い続けております。そして京都府は職員の国籍条項がまだ撤廃されていないので、それをやはり府会議員としてはその壁をなんとか破っていきたいと思っています。
 ――白さんはいかがですか。テレビ出演でも、民団など在日団体の行事に出席されてもいつも明るいですね。
 白 好きな言葉はいっぱいありますが、1つは「日々是愉しみ」です。あるいは、「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」ですね。出すぎたら、打たれてもただ曲がるだけですから。
 人間って、暗い所より明るい所にいきたがるわけです。虫だってそうでしょう(笑)。だから、明るさというのが僕は重要だと思っているんです。なんでも「楽しいね」というところから皆取り組むわけだし、いやなことよりは楽しいことからスタートしましょうと。
だから僕は韓流ブームというのは大歓迎で、過去の植民地支配のことを知らない日本人がいてもいいんですよ。まずは韓国を知ってくださいねと。そこからスタートしないと、先に進めないじゃないですか。あまり肩肘張ってもしょうがない。
 ――政治家というお仕事は本当にやりがいがあると思うのですが。
 白 世界中から韓国とゆかりのある政治家たちが集まった「世界韓人フォーラム」でのことですが、そこで私のことを「日本から来たぞ」とびっくりされていました。一番出るはずがない国だと思われていたところから出てきたと。
それで席上、スピーチを促され、話をしたら皆さん大変喜んでくださったんです。日本人が皆韓国が嫌いと思っているのは大間違いで、仲良くしていきたいなと思っている人もたくさんいることをお話したら、非常に興味深く聞いてくださいました。そういったときに、韓国に向かっても発信できる立場になれるんだなというのも、1つの生きがいというか、政治家になってよかったと思いました。
 ――韓国の政治家とは何を話されるのですか。
 白 野党時代に1つやろうと思ったのは当時、私は外交防衛委員会というところにいたのですが、韓国の国防委員会の委員長と会って、一緒に委員会をやろうということでした。つまり、日本の国会で日韓の国会議員が集まって共通の話題、例えば北朝鮮問題について話し合おうということです。
EU機関などにあるように、韓国の議員と一緒に議論をしてはどうかと。日韓議員交流委員会は民主党の中にもありますし、超党派の日韓議連というものはありますが、国会の中で、その委員会をやろうじゃないかということです。まだ実現はできていませんが、いつかやりたいなと思っています。
  ――金さんはお好きな言葉などはありますか。
 金 私も「楽しい」ということはキーワードにしていて、せっかく一回きりの人生ですから、悔いを残さないようにしようとはいつも思っています。もし間違えてしまっても、やり直すとことができると思って諦めません。というのは、やらなくてはいけないことのハードルが私からすると非常に高い目標なので。
難しいのは、任期が決まっている課長職なので、短期で成果を挙げないといけないということです。数字など目に見えるもので成果をはからないという意味では、やる気をもって入ったのですが、行政という組織が民間企業と違って、「前例がない」で終わってしまうこともあり、そこを調整するところに苦労します。
「民間の感覚でやってください」と言われたのに、その後に「じゃあこうしたらどうですか」と言ったら、皆「えっ」と驚かれたりという世界です。市民へのサービスが行政の仕事なんですが、任期中にしておきたいのは、市民の方に「変わったね」と思っていただくことです。
見た目が一番早いということで、例えば職員の制服だとか、名札が今まで見えなかったのが見やすくなったとか、市の施設が明るくなった、綺麗になった、皆さんの挨拶がよくなったとか、そういったところを変えていきたいですね。
 国本 京都では外国籍の人は管理職にはなれませんので、韓国人が地方自治体の管理職に就いたことは本当にすごいことです。困難な状況もあると思いますが、負けないでぜひがんばっていただきたいですね。

日本の国際化
 ――寝屋川市長が金さんの名前を文字って、金さんのことをまさしく「寝屋川市の金看板だ」とおっしゃったそうですが、金さん自身の存在が国際化を促すものと考えます。日本社会の国際化について国本さん、いかがですか。
 国本 やはり、地域住民という捉え方だと思うんです。外国人とか日本人とかじゃなくて、その地域に住む住民として認識していくことが、日本の国際化につながっていくと思います。
在日の方以外でも、例えば米国の方の相談とかも当然ありますし、いろんな国籍の方の相談があります。それをいちいち国籍で捉えていたらどうでしょう。そこに住む人たち全員を地域住民として捉えて、それを発信していかないと何も変わらないんじゃないかと思っています。
 ――在日コリアン出身の国本さんだからこそのアイディアはありますか。
 国本 外国からの観光客は京都が一番多いですし、そこをどう活かして国際化していくか、そして、それをどう日常化していくかというのが切り口ではないかと思います。
その中で在日ができる役割というのは、僕は非常に大きいと思います。韓国人の方も京都に多く来られています。そこで在日の方々と韓国から観光で来られる方をどうマッチングさせていくか。それをどう当たり前にしていくか。それが韓国だけではなく、ゆくゆくは世界の人々にも当たり前になるような京都にしていきたいと思います。
 ――白さん、日本社会はまだまだ国籍中心的な要素が強いと思いますが、そのあたりをどう変えていくか。
 白 今、国本さんが良いことを仰っていただいた。地域住民なんですよね。私もキーワードはそうだと思います。日本は約60人に1人が外国の人です。生まれてくる赤ちゃんの30人に1人がご両親のどちらかが外国人です。ものすごい勢いで外国というものが身近に感じられている状況の中で、立法府にいる立場の人間からすると、では法律はどうなっているのかというと、それは入管法だけなんですね。
外国人は入国管理法で規定されるわけです。日本で生まれてる人たち、「3、4、5世です」なんて言う人たちがいっぱいいるのに、なぜ入管法で管理するのかと。もう一回外国人の概念をきちっと整理する必要があります。整理というのは入国管理という観点ではなく、外国人人権法などの基本法をこの国で外国人をどう位置付けるのかということを、法体制から見直すときが私は来たのではないかと思います。
 ――地方の参政権であっても内政干渉につながるという論理を桜井よしこさんらが展開していますが。
 白 ここでポイントは、地方自治とはなんですかということなんです。
地方自治というのはやはり、地域の住民が決めるわけでしょう。その中で無視できない存在となっている外国の人たちをきちっと、地域住民の1人として一角を担っているという義務と権利を、日本が与えることによって彼らに住民としての自覚をもってもらう。これが私は重要だと思っています。
いつまでも外国人はよそ者という観点は、ここにいる外国の人たちにとっても、日本人にとっても良いことではない。約60人に1人が外国人の中で「外人だから」「よそ者」だからと言っていたら、地域経済は成り立たなくなってくるんですよ。
日本で生まれ育った人たちは非常に多くて、まさに第二ではなくて第一のふるさとですよ。それが万が一、自分の元々のオリジナルの国と何かがあったとしても、生まれ故郷を大切にしたいという気持ちは当たり前に持ちます。だからそういうことを排除する論理ではなく、受け入れる論理というのも私は必要なのではと思います。
だったら、国籍を変えればいいじゃないかという人がいます。日本人になろうと思えばなれるのにそれをしない奴は、日本に忠誠心を持っていないと。特に国防関係で問題があるからと言うのですが、ヤバイ外国人だってそれこそ日本人になりたいと思えばなれるわけで、どうやってヤバイ外国人を見分けるのですか?宣誓書を出せと主張している方がいますが、それで見分けられるわけがありません。まさに矛盾です。
それに地域が乗っ取られると言うが、外国人の地方参政権を与えられている国の中で、乗っ取られた国はありますか、と聞きたいのです。そんなにこの国は自信がないんですかと。それにもう一ついうと、外国人参政権を与えていない、米国のように出生地主義をとっていない、或いは二重国籍を認めていない先進国は日本だけなんです。
 ――20年以上日本に住んでいる人には自動的に付与すべきだと主張されていますね。
 白 党としての立場は永住外国人に対しては選挙権を付与すべきだということですが、20年間永住している外国人に参政権を付与すべきだというのが私の考え方なんです。
 ――寝屋川市の課長職応募の際は、国籍条項はなかったんですよね。
 金 つける意味がないという感覚で、寝屋川市では国籍条項、並びに性別・年齢制限もありません。すごく自然体だと思いました。市民が市の施設を借りて、ハングル講座をずっと続けられています。他講座は替わっても、人気があって継続されて残っているんです。すごくいい話だと思います。
 ――アンさんはトークショーや講演などで韓国や在日文化を広めてらっしゃいますね。
 アン 先日、NHKの内部研修の一環として、プロデューサーや職員の方々に向けて、在日の文化のお話をさせていただきました。マスコミの持つ影響力は本当に強いですから、情報を発信する側の、とくに若い人たちが、もっとお互いの文化を理解してもらったら、マスメディア的にもさらに国際化ができると思います。
例えば、日本の人たちは距離感を大切にする民族だと思うんです。韓国の人たちはぶつかって、痛みを分かち合いながら互いに良い形を作っていく。それで「ああ痛かったな、俺たちはこんな痛みをもったな」と手を繋げる。日本の人たちは「あの人に痛いことをされたから、これ以上近づかないほうがいい」と距離感をつくっていく。
心地いいと感じる距離感が違う者同士の理解はとても難しいと思います。だからこそ、両国の文化、距離感を知る在日韓国人が役に立つことができると思います。

若者へのメッセージ
                       お互いの健闘にエールを送り合う出席者
――最後に若い世代へのメッセージをお願いします。
 アン 近くの外国人からお友達になって、お互いが相互理解をするようにならないと、共存というのはできないだろうなと思います。だから若い人たちには、どんどん近いところから国際社会を広げていく目を養っていってほしい。たくさん情報があり、惑わされやすい分、近くの外国の人から手をつないだり、人間と人間同士のお付き合いをして、自分で感じる目を養ってほしいと思います。在日は在日で自分が感じた今の社会と、自分のできることという可能性を感じて、夢をもって前に向かってほしい。そして諸先輩方ともっとコミュニケーションをとって、社会に役立つ人間になるよう、自分に付加価値をつけて頑張ってほしいですね。
 今は在日だからといって閉ざされている分野は大分減りました。何でもやってみて若いうちに吸収し、広い視野を持てるように、見たり聞いたり学んだりをいっぱいやって、自分の可能性を追求して、夢にむかっていってほしい。自分は在日だからとか、これぐらいしかできないからと自分でフタをせずに、突き抜けてほしいなと思います。
 国本 これからの若い世代、夢をもっていきてほしいですね。僕はプロ野球選手になりたいという夢をもって一生懸命頑張っていたんですが、気が付けば地方議員になっていました。自分の人生って、どう転んでいくか分からないですよね。
どう転んでいくかは分かりませんが、努力をしていけば、必ず報われますし、それに対して必ず自分の味方になってくれる人が現れます。それは在日とか日本人とか国籍は関係なく、必ず出てきます。辛いこともあるかもしれないけど、若い人たちには努力し続けていってほしいなと思います。
 白 肩肘張る必要はない、ということでしょうか。私もまさか自分が政治家になるなんて夢にも思っていませんでしたしね。ただ、今考えてみると、人生無駄はないなと思います。やっぱり学んでいるんですよ。いろいろな経験を積んで、いまの自分があるわけですから。
 ――ありがとうございました。皆さんの一層のご活躍を期待します。