特別寄稿 シリーズ「核問題を考える」 |
2022年1月1日
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■岸田文雄首相と核軍縮 問われる本気度
武田 肇
※昨年12月中旬寄稿 |
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たけだ・はじむ 朝日新聞大阪本社社会部 核と人類取材センター事務局長
徳島、京都総局を経て、大阪社会部と広島総局で長く原爆平和問題を担当。2015年から2年間、外務省を担当し、17年4月からソウル特派員。20年4月から現職
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2021年11月10日、衆院選を受けた特別国会で第101代目首相に岸田文雄氏が選出された。岸田首相は核軍縮を「ライフワーク」に掲げてきた政治家であり、同年10月におこなった所信表明演説では「被爆地・広島出身の首相として、『核兵器のない世界』に向け、全力を尽くす」と意気込んだ。
その本気度が試されるのは、核兵器禁止条約(核禁条約)の締約国会議のオブザーバー参加を決断するかどうかだ。核兵器を初めて全面的に禁止する核禁条約は2021年1月に発効したが、日本政府は安全保障を米国の「核の傘」に依存していることを理由に、署名も批准もしていない。それでも、会議の傍聴や発言ができるオブザーバー参加は可能であり、会議に関与して核兵器廃絶の機運を高めるべきだと、広島・長崎両市や被爆者団体は参加を強く求めている。
ただ、現時点では、期待はしぼみつつある。岸田首相は所信表明演説で「世界の偉大なリーダーたちが幾度となく挑戦してきた核廃絶という名のたいまつをこの手にしっかり引き継ぐ」と語って被爆者らを感動させたが、その後の国会の代表質問では「(核禁)条約には核兵器国は1カ国も参加していない」と否定的な認識を示し、オブザーバー参加について口を閉ざしているからだ。2021年3月にウィーンで開催される核禁条約の締約国会議まで残り3カ月。どう対応するのか、考えてみたい。
参考になりそうな発言が、初の総裁選に敗れて無役になっていた岸田首相に対して私が2020年11月に行ったインタビューの中にあった。
50分間の単独インタビューの冒頭で、私は被爆地と自身の政治理念の関わりについて聞いた。岸田首相は平和記念公園や原爆ドームのある「衆院広島1区」で当選を重ねてきたが、東京生まれの東京育ち。野党の一部に「『核軍縮はライフワーク』と自任するのは後付け」という懐疑的な見方が、あることを受けた質問だった。
これに対して岸田首相は、「(少年時代は)父の仕事の関係で学校は東京だったが、学校が閉まっている時はずっと広島で生活していた」「(当時の)広島には、見えるところにケロイドを持っているおじさん、おばさんが多く、生々しい話をいくらでも聞く機会があった」「身近なところに被爆者がいる広島では(核廃絶への思いは)右も左も政治も何も関係ない」と語った。
岸田首相は2020年10月に出した著書「核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志」でも、幼い頃に祖母や支持者から被爆体験を聞いたことが、核兵器の非人道性に関心を抱く原点になったことを紹介している。
ただ、インタビューの核心である核禁条約の参加については、歯切れは悪かった。岸田首相は安倍政権下で外相を務めていた2017年、核禁条約をめぐる交渉会議に日本政府の参加を検討しながら、政府内の反対を説得できずに断念し、被爆者らの失望を招いた経緯があるからだ。
それでもインタビューで岸田首相は「法的に核兵器を禁止するのは素晴らしい理想だ」と言及して核禁条約を一定前向きに評価し、オブザーバー参加についても、条件付きとしながら「日本が参加することを否定しない」と明言した。これらの発言は、2020年12月8日付の朝日新聞で掲載している。
条件とは何なのか。当時の岸田首相の説明によると、核禁条約は「核兵器のない世界」を実現するシナリオの「出口」に不可欠な条約だという。「入り口」とは、日本を含めた非核保有国だけでなく、米国、ソ連(現ロシア)、英国、フランス、中国の核保有国も参加して1970年に発効した核不拡散条約(NPT)のことだ。NPTは、米ロ英仏中の5カ国に核兵器保有を認めつつも、核軍縮の交渉を義務づけている。核兵器が約1万3千発ある今は、まずはNPTをしっかり機能させ、核兵器の数や保有する動機を最小に近づけることで『出口』にたどり着く努力をする。そういう手順を踏めば、核保有国もおのずと核禁条約に参加できる――。岸田首相はそう説明し、「そうした大きなシナリオを完結させるために意味があるなら、参加したらよい」と述べた。
現実には、米ロ、米中の対立激化を背景に核軍縮は停滞し、NPTを「しっかり機能させる」ことは困難な状況にある。直近のNPT再検討会議(15年)は、核保有国と非核保有国が激しく対立し、最終文書もまとめられずに決裂した。この状況にいらだつ一部の非核保有国が核禁条約の推進役となった。岸田首相もインタビューの中で、NPT体制下での米ロ英仏中5カ国による核軍縮の機運は「最悪の状況」にあると認めた。それでも、核禁条約の意義を認め、日本政府のオブザーバー参加を否定しなかったことは安倍、菅元首相の姿勢とは大きく異なる。
岸田首相が2度目の総裁選で勝利できた背景には、安倍元首相の力添えがあったとされる。それゆえに、核軍縮でどこまで独自色を出せるのか疑問視する見方がある。ただ、安倍・菅両政権時代のさまざまなスキャンダルを引きずりながらも、衆院選で絶対安定過半数を維持したことで、岸田首相の地位は強まったとみられる。
外相時代には、自らの理念を強く押し出すことで核兵器をめぐる政府方針を変えた例もあった。2013年4月、日本政府はNPT再検討会議の第2回準備委員会で発表された「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に賛同せず、被爆者から批判を浴びた。北朝鮮の核開発など周辺の脅威にアメリカの核抑止力に頼る実情を踏まえ、核兵器は非人道的兵器と強調する声明がアメリカの行動を制限しかねないと考えたことが背景にあった。
当時外相だった岸田首相は、国会答弁で決断の正当性を強調しつつも「残念」だと繰り返し、外務省の担当者らに「次回の声明には賛同できるように努力を」と指示した。そして2013年10月、国連総会第1委員会で同様の共同声明が発表された際、水面下で米側の理解を取り付けた上で賛同に転じた。当時の事情を知る外務省関係者は「岸田氏の思いが引っ張った」と語る。オバマ米大統領の広島訪問実現にも、当時外相だった岸田首相が奔走したことがよく知られている。
岸田首相は、2021年10月に国会で、「我が国は唯一の戦争被爆国として(核禁条約に)核兵器国を関与させるよう努力しなければならない」「唯一の同盟国である米国の信頼を得た上で、核兵器のない世界を実現するためにともに前進していきたい」とも述べた。バイデン米大統領との首脳会談で、「理解」を取り付けることを思い描いている可能性もある。同年12月9日にオンライン形式で開かれた核軍縮関連の会議では、2022年1年に開かれるNPT再検討会議で、核軍縮の前進につながる合意文書の採択に向けて「世界各国のリーダーへの積極的な働きかけを続ける」と意気込んだ。
岸田首相就任をきっかけに広く知られるようになったが、核禁条約制定に貢献したNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」とともに活動するカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(89)は、岸田首相の遠い親戚だ。そのサーローさんは最近岸田首相に送った手紙で「日本がこの条約に加われば、それは世界全体に大きな波及効果をもたらし、核保有国さえ動かします。広島選出の総理大臣がその決断をせずに、いったい他に誰がそれをするのでしょうか」と記した。
岸田首相は2020年11月のインタビューで、核軍縮に関心を寄せる自民党議員は、自らが率いるリベラルの「宏池会」でも少数だと打ち明けてもいた。市民の広い支えが必要だということだろう。私たち市民一人ひとりが当事者であることを認識しつつ、岸田首相には「もう誰にも同じ苦しみをさせない」という思いで体験を語ってきた被爆者の言葉をいま一度かみしめ、強い指導力を発揮してほしい。
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