2008年7月10日号
潘基文国連事務総長と握手を交わす李相善本紙代表(6月29日京都大学・芝蘭会館)=金鐘典撮影=
潘基文氏の活躍がコリアのステータスアップに
 潘基文国連事務総長に直接会う機会に恵まれた。6月29日、京都大学主催のタウンミーティングに出席する事務総長が会場入りする瞬間だった。
 パトカーに護衛されて京都大・芝蘭会館の正面玄関に到着し、正面ロビーに入ってきた。待ち構えていた報道陣の中にいた筆者は、「キョッポシンムンサイムニダ(在日同胞の新聞社です)」とあいさつしながら手を差し伸べると、「パンガプスムニダ(お会いできてうれしいです)」と柔和な笑顔で応対してくれた。
 隣にいた柳淳沢夫人も素敵な笑みをたたえていて、「日本訪問は何度目ですか」と聞くと、「東京に何回か行っています」と答えていた。
 温暖化をテーマにしたタウンミーティングでは冒頭約20分、潘事務総長が講演した。潘事務総長の英語は歯切れよく聞こえた。
 「私は事務総長に就任した日から気候変動の問題を最優先課題として、国連前全体にとっても重要な問題だといい続けてきました。私たちはこの地球という惑星を、より環境的に、持続可能な世界として、次世代の皆さまに手渡す責任があります」とゆっくり話す落ち着いた雰囲気は、人柄の良さもにじみ出ていて、実に好印象だった。
 「この方が国連のリーダー、潘基文氏か」と思いながら、不思議と胸が高まるのを覚えた。国連の事務総長にアジア人がなったのはウ・タント氏に続き2人目である。分断国家からは初の就任でもある。
 「世界の安保と地球に対する脅威を平和的に解決する責任を果たせるよう最善を尽くす」と就任時に決意を披露した。就任して1年半、徐々に事務総長としての評価が高まりつつある。
 調整型の人柄が発揮されているのか「人の話をよく聞く総長」との評が出ている。地球温暖化問題のように、世界各国の経済的利害が直接ぶつかり合い、低炭素社会を目指すという、まさに調整力の発揮が求められている折、世界的リーダーとしての資質が時局にマッチしているといえるだろう。
 事務総長就任以来、初訪韓し、今月5日に生まれ故郷の忠清北道陰城郡で、地元に温かく向かえられた。村の人々は「世界の総長だから、こんなに誇らしいことはない」と喜びに溢れていた。
 巨大で複雑な組織を運営できる管理運営能力が問われる国連事務総長職。大国と発展途上国の利害を調整しつつ、21世紀型の国連機構をどう構築するのか。世界中を駆け巡っている潘基文氏にその手腕に大いに期待しつつ、激励の拍手を贈りたい。
 そして、韓国人の国連事務総長が地球平和と環境改善に多大なる功績を残せば、世界にコリアの名を轟かす一番の近道ではないだろうか。
教育分野で貢献する鄭煥麒氏
                               鄭煥麒氏
 潘事務総長が韓国での記者会見で、「世界中で韓国ほど短期間で発展した国はない、と羨ましがられている」と述べていた。世界中を駆け巡っている潘事務総長ならではの実感であろう。
 愛知韓国学園の鄭煥麒名誉理事長は本紙の特別寄稿(2面掲載)で、「ヨーロッパの工業化は200年、日本は50年、韓国は30年でやり遂げた。輸出は1964年の1億ドルが2007年で4000億ドル、1人あたりのGNIは64年100ドルが2007年には20045ドル、造船、携帯電話、半導体、鉄鋼、自動車の生産は世界の5位以内に成長した」と指摘している。
 そして、その要因は「解放後の農民が命と頼む田畑、牛まで売り、食うや食わずで、わが子に教育をつけさせたことや、またとかく批判のあった歴代軍事政権が、教育に関しては国民の強い願望を受け入れ、教育政策に力点を置いた成果だったと思う」と指摘している。
 筆者が初めて祖国に足を踏み入れたのが、朴正熙大統領がセマウル運動を提唱しはじめた1970年だった。当時はまだ靴磨きの少年がおり、食堂に行ってもお客の靴を無断で持って行き、磨いてお金を請求する子どもたちがいた時代である。それから40年経過しているが、経済、国力がこれほど成長するとは驚く他はない。
 その要因を鄭煥麒氏は教育の力と言及している。まさに然りである。その時々の歴代政権の経済政策が功を奏したのではあるが、やはり国民の意識、教育レベルの高さと、「ハミョンテンダ(成せば成る)」というハングリー精神が取り上げられる。
 その鄭煥麒氏は自ら、韓国の学生らに奨学金事業を展開している。晋州教育大学財団を1998年に設立した。それ以来約100億ウォンにも及ぶ資金を奉仕している。同教育大学は小学校の先生を養成する韓国最大の教員養成大学である。鄭煥麒氏の存在は韓国の学生たちにとって大きな励みになっている。
 また、鄭煥麒氏は名古屋の学校法人韓国学園を1965年に設立した立役者である。40年間に亘って理事長職を務めた。もし、鄭煥麒氏がこの世にいなかったら、名古屋の韓国学校は今日存在していなかっただろうし、民団、商銀をはじめ愛知の同胞社会の発展はおそらくなかったと言ってよい。
模範的な2人の実業家
姜仁秀氏 朴正準氏
 今、在日社会は年内の地方参政権実現の是非が最大の関心事になっている。
 外国籍住民への地方参政権付与の必要性については多くの論を待たない。しかし、問題は実現のためにはどうしたらいいのかということだ。地方参政権獲得のための交渉や運動と並行して、在日コリアン自らがイメージアップに努めることが求められる。地域社会の住民として信頼、尊敬される存在になるよう努力することである。
 そのことが、日本社会全体に浸透していって、在日外国人に参政権を付与するのは当然だという風潮、世論を喚起していくことが大事であると信じる。
 6月22日、広島の姜仁秀八千代病院理事長が、地元の安芸高田市八千代町に文化会館を建設するため、6千万円を寄贈した。(3面特集記事) 竣工の記念式典では、八千代町の住民の方々が「ありがたいことです。有意義に使わせていただきます」と感謝の意を述べていた。姜理事長は本名を名乗り、韓国人として堂々としている。グループ施設として、西日本最大の有料老人ホームを擁している。現在、1100余人の方々が入居している。充実した施設が人気・評価とも高く、ハード・ソフトとも日本が誇る老人施設と言って良い。
 八千代病院の建設当時、地元住民から、「韓国人だから」という理由で、強い反対を受けた。しかし、姜理事長は署名運動を展開するなど、地域社会から見事、信頼を得ることに成功。反発を味方に変えた。さらに経営する病院や老人ホームの業容の素晴らしさから尊敬の対象になっていった。地域社会と共存、また先導する姿に、大いに学ぶべきである。
 大阪のスチール棚メーカーで、業界メーカーではトップを走る三進金属工業会長の朴正準氏は在日の誇る経営者だ。16歳に渡日し、大阪市西成区時代は小さな工場に過ぎなかったが、大阪府泉北郡に移転し飛躍的に成長した。 現在社員800余人を抱え、年商200億台までに至っている。民族心も強く、創業40周年の記念式典では、故郷の忠清北道から国楽団を招請し、韓国文化を堂々と披露していた。会長になった今なお、海外を飛び回りながら、陣頭指揮を取っている。
●地域社会に役立つコリアンの登場を願う
 在日コリアンは戦後、日本の経済発展に少なからず寄与してきた。製造業、サービス業などあらゆる分野で底辺を支え、とくにサービス業では遊技業など先駆的に業界を創出してきた。
 これから日本は少子高齢化にともなう人口減少が予測されている。外国人労働者を積極的に受け入れ、新しい法整備も余儀なくなれている。とくに看護士、介護士など外国人専門技術者の導入が要請されている。
 姜仁秀氏が企画している介護研修センターはまさに、21世紀型の福祉社会に対応する施設と言える。住民から信頼され、地域社会の振興に役立つ、1人でも多くのコリアンの登場を願う。