オピニオン
  2025年2月20日
    ローマとの比較で見えてくる日本、朝鮮半島、在日コリアン     
        
              
                                           本紙代表  李 相 善                                      
 人類の全ての経験、人間模様、エッセンス(本質的に大切な要素)は古代ローマの歴史に詰まっている」と唱える学者がいる。だとすれば、ローマというのはある意味、歴史ないし社会科学の壮大な実験場でもあったといえるのではないか。
イタリア半島で生まれた小さな部族国家が、のちにイタリア半島を統一し、1500年も続く大帝国を打ち立てた。ローマ帝国が滅亡した主な理由は、軍事力と経済の衰退、政治の不安定さ、外敵の侵入、そして帝国内部の分裂といった要因が挙げられるほか、昔は移民の受け入れに寛大だったのが、排外主義に走り独善国家的になったためとする説もある。
 なぜ、ローマの話をするのか。朝鮮半島史において、大韓民国は1948年8月15日、朝鮮民主主義人民共和国は9月9日に、それぞれ国家として樹立した。有史以来、世界中の200近い諸国のなかで、資本主義、社会主義が相対峙し、軍事力を中心としたイデオロギーの違いで未だに争いを続けている国は、他にあるだろうか。世界の冷戦の余波を受け、互いに祖国統一を願いながらも現在のような有様を露呈し続けている国は、世界広しといえど南北の朝鮮半島が唯一的であろう。
 現在、韓国は先の大統領戒厳令で国論が二分化、北はロシア・ウクライナ戦争で自国兵をロシアに派兵し、世界中に更なる不安感を煽ると同時に、戦争終結を一層遠ざける不安定要素を拡張し続けている。
 ある学者は「現在の韓国は、国家権力と民衆が対峙する、いわば議会制民主主義への歴史的挑戦の過程にあるとみるべきだ。なにも韓国だけでなく、米、イギリス、フランス、日本なども同じような問題を抱えている」という。つまり、韓国は議会制民主主義などの壮大な実験をしているというのだ。また、小倉紀蔵氏は「韓国全体をひとつの運動体としてみるべきで、単純に普通の国家として観察してはいけない」という趣旨の意見を述べている。
 韓国は、東学農民戦争という民族民衆革命を経験した歴史がある。朝鮮民族は、日本帝国主義、植民地政策の艱難辛苦を乗り越え、韓国という国家を建設した。そして、朝鮮半島統一という民族的使命・課題を担っている。
 1960年4・19の学生革命、1980年の光州事件など、様々な激動の歴史を経てきた韓国であるが、南北の歴史を植民地分断の対峙下における一つの運動体として長期的視野に立って見るべきで、混乱や騒動に一喜一憂してはいけない。
 イタリアの政治思想家マキャベリ―は「混乱は発展の前兆」と述べていたが、現在の韓国の事態を相対的、歴史的に俯瞰する視点を身に着けたい。

旧敵に市民権を与えたローマの知恵

 古代ローマでは、たとえ移民入国者であっても、すべての人々にローマ市民権を与えたという。人種、民族、宗教が違っていても、同じローマ市民として温かく迎え入れ、先住民と同様の権利を与えたのである。しかし、先述したように様々な要因により、ローマ帝国は滅亡した。
 渡日して100年以上の在日コリアンに対して未だに地方参政権すら与えないのはなぜか。
 あるイギリスの文学者が、「100年以上の渡日の歴史をもつ在日コリアンに地方参政権がないとは驚きだ」と語っていた。在日コリアンの歴史が形成された起点を1905年の乙巳(ウルサ)条約であると定義するなら、私たちは既に、一世紀以上の歴史を歩んできたことになる。
 韓国併合が1905年8月22日に始まり、朝鮮総督府が設置され、初代統監に伊藤博文が就任した。併合時、伊藤博文は「一千年前の恨みを晴らした」とつぶやいたという。一千年前、日本と朝鮮半島の歴史に何があったのだろうか。
  時代の大転換として挙げられるのは、やはり7世紀半ば、660年の白村江の戦いであろう。朝鮮での激動騒乱が日本に迫って来た660年、唐が新羅と結んで百済を滅ぼした。卑室福信(きしつふくしん)ら百済の遺臣は唐の支配に抵抗し、白村江の戦いで百済と友好関係にあった倭国は約5万の兵を投入したと推定されるが、結果は惨敗した。これが、倭国最初の「集団的自衛権」であるといわれる。
 白村江の敗戦を受け、中大兄皇子は外的の襲来に備えて、国防の強化に乗り出した。九州に防人という兵士を配置し、大野城などを築き、津島から大和へ、至るところに朝鮮式山城を築き、防衛体制を敷いた。
 667年、日本国最初の都を飛鳥に築いた。蘇我馬子が飛鳥寺を建立し、百済からは仏教が伝来、高句麗からは金300両が献上されたといわれる。飛鳥寺は北朝鮮、高句麗のお寺の伽藍配置を模倣、再現したものといわれている。
 百済は仏教を伝え、瓦博士を派遣し、暦などを伝えた。飛鳥寺の前住職、山本宝純氏によれば、日本国最初の都・飛鳥の地にある飛鳥寺は、古代朝鮮半島と倭国の合作であるという。すなわち当時の日本列島そのものが朝鮮半島と日本の合作であり、古代はまさに共存共栄の時代であった。

日本国建設に寄与した古代高句麗・新羅の渡来人

 つまり、当時の朝鮮半島の先進文明の流入が日本国家建設の礎の一つとなったことは明白であり、当時の日本・朝鮮半島・中国大陸を含めた東アジア全体が相互扶助、共存共栄が織りなす一大国際社会圏だったのである。   
 かの有名な聖徳太子は、高句麗の恵慈、百済の日羅を仏教学の師に迎え入れた。聖徳太子は十七条憲法制定、律令体制の根幹を敷いた偉人であり、聖徳太子は東アジア全体を俯瞰し、倭国・日本の将来の平和と繁栄を展望した。弊紙は2022年、聖徳太子の生誕地、橘寺で「聖徳太子生誕1450年祭」を開催した。トークセッションでは森川裕一明日香村  村長、古谷正覚法隆寺管長、内良輯橘寺住職、神居文彰平等院住職らが参席した。
 弊紙は今年も6月8日(日)に聖徳太子を偲んで、橘寺で「聖徳太子東アジア平和友好祭」を開催する。古代の白村江の戦い以来、朝鮮半島、日本列島の東アジア情勢は合わせ鏡かのように、常に表裏一体の情勢展開をしてきた。つまり朝鮮半島の危機は、日本の危機でもあると認識する必要がある。

現代は人類の危機、第三次世界大戦の兆候 “対話”こそ平和社会を築く源

 今、人類80億余人は、第三次世界大戦勃発という究極的危機下に直面している。第一次世界大戦、第二次世界大戦ともに、最初は偶発的な、些細な事件が発端だった。日本も満州に進出し、西欧を相手に激戦を繰り広げ、数百万人が命を落とし、軍国主義の道を進んでいった。世界は連合国、同盟国に二分化され、東西冷戦という、米国、ソ連、中国を中心とした覇権争いが展開された。
 時は進み、現代の覇権争いの舞台は宇宙にまで拡張している。東大の学術博士の實清隆氏は「このままいくと、地球は50年、100年先まで存続することはできない。核戦争の勃発は必至であり、人類滅亡の大危機を迎えている。今こそ世界の賢人たちは、平和に向けて立ち上がらなければならない」と、有志による「世界アジア平和賢人会議」の設立を呼び掛けている。
 ロシア・ウクライナ戦争、中東の危機がアジアに飛び火しないよう、平和協議体を構築すべきであると、弊紙コリアンワールドも世界アジア平和賢人会議の趣旨に賛同しており、設立に向けて主導的役割を果たしていく所存である。
 現代社会はAI隆盛期であり、利便性とある種の危険性もはらんではいるが、あくまで我々人類にとって本当に必要なものは平和社会の成就であり、最大課題なのである。国連が有名無実化している今、人類一人ひとりが平和哲学をしっかり学んでいかなくてはならない。
 そのためには、相手を認め、自分の意見は間違ってはいないかと、まず相対化して物事を俯瞰することである。自分が絶対だと思い込んで、相手を無視し、言うことを聞かないから排撃するという「我欲思想」を取り除かなくてはならない。互いに存在を認め合い、とことんまで対話をする、いわゆる「相互承認」哲学を、我々は学んでいく必要がある。
 世界で暗躍する武器商人達は、自ら紛争勃発の火種を巻き散らかし、大国を相手に武器輸出で莫大な利益を上げ続けている。さらにその特需に乗っかろうとする大国の軍産体制こそ問題であり、いい加減、その負の連鎖・経済システムを断ち切り、改革しなければならない。
 まどろっこしくても、時間がかかっても、対話しながら、問題解決に尽力する姿勢が大切である。1500年続いたローマ帝国が滅びたごとく、人間は傲慢になってはいけない。世界平和実現のためには、先述した通り、“対話”こそが何よりも重要であり、最終的には一人ひとりの心構えにあることを銘心(めいしん)しなくてはならない。