■オピニオン |
2022年1月1日
 |
東アジアの平和構築に向けて
本紙代表 李
相 善
|
聖徳太子は、西暦574年に誕生した。朝鮮半島の外交問題や国内政治において、氏族同士の争いが絶えなかった当時、平和な世の中を作りたいと考えた太子は、その実現のため仏教を取り入れ、世に広めたいと考えた。
593年には推古天皇が即位、聖徳太子は摂政となった。遣隋使の派遣や、個々人の能力を重視する冠位十二
階を603年に制定し、604年には十七条憲法が制定された。
十七条憲法の第一条には「和を以て貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ」とあり、すべての人々がお互いに穏やかに、仲良く和合する「和の精神」が示されている。また、新羅の日羅、百済の緞帳、高句麗の恵慈が聖徳太子の師を務めていたことは、学者の間では有名なエピソードだ。
蘇我稲目(そがのいなめ)の血を引く娘を妻に迎え入れた聖徳太子は、渡来系と深い相関関係にあり、朝鮮半
島からの仏教哲学を国家運営理念の礎(いしずえ)とした。
他方、高松塚壁画が今から50年前の1972年に奈良県明日香で発見された。石室のなかに描かれている星宿
図、四神図、女子人物群像は「飛鳥美人」と称され、現代の人々に大きな驚きとロマンを与え、遺跡や文化財の 大切さを示している。
女子人物群像は朝鮮半島の人々と深い関係にあるとされ、「高句麗壁画と類似している」というのが、考古学者の間で定説となっている。
また、女子人物群像の衣装はチマチョゴリを彷彿とさせるという点も、興味深く捉えられている。聖徳太子の
生誕、高松塚の女子群像を考察すると、古代の飛鳥を起点とした、当時の日本と朝鮮半島、東アジアの相互関係が見えてくる。
現代の日韓関係の政治的対立などは、日本と朝鮮半島、中国大陸の2000年以上の歴史展開から見れば、ほんのささいな一コマに過ぎない。飛鳥は日本国最初の首都であり、その由来を知る歴史探訪は、未来の東アジア
の平和構築のありかたを考察するにあたり、大変重要な地となる。 日韓の和はまさに、飛鳥から俯瞰していかなくてはならない。
「奈良」という地名は韓国語の「ウリナラ(私達の国)」が由来であることを鑑み、日本人も韓国人も国を越境して、友好交流関係を構築していくことが肝要である。以上の観点から、弊紙は「聖徳太子生誕1450年祭高松塚古墳発掘50周祭」記念イベントを企画、2022年11月開催予定としている。
依然として、コロナ禍で大規模な人的交流は難しい情勢ではあるが、だからこそ本イベントが、日本、韓国、朝鮮半島の平和構築促進の一助となることを願ってやまない。 令和4年の本年も、皆様のご健勝ご多幸を心よりお祈り申し上げたい。
|
|
 |
|
|