2009年5月31日号
  「奈 良 と シ ル ク ロ ー ド」
      ―アジアゲートウエイの未来に向けて―
 古代からヨーロッパと中国を結び、日本に進んだ技術や珍しい文物をもたらしたシルクロードは、アジアゲートウェイの先駆とも言える。2010年に平城遷都1300年を迎える奈良の興福寺会館で昨年11月30日、文化庁主催の国際文化フォーラム「奈良とシルクロード」が行われた。古代のシルクロードにおいて、アナトリアから中国や韓国につながるアジアの文物往来や通商に見られる横の繋がりを議論した。(李相善撮影)
文明の遺跡・モニュメントを次世代に 他者を受け入れるグローバル社会に 文化は変容しながら継承されるもの 南北統一がシルクロード再興の鍵に
山内昌之
東京大学大学院教授
ソルマズ・ウナイドゥン
前駐日トルコ共和国特命全権大使
王  勇 
浙江工商大学日本文化研究所所長
キム・ホドン
ソウル大学教授
 奈良は2010年に平壌遷都1300年を迎える。これは西暦710年に元明天皇が藤原京から平城京に遷都して、ちょうど1300年目ということ。奈良の阿修羅像(興福寺)などに象徴されるように、中国の西域、さらに朝鮮半島を経てシルクロードが日本にまで達し、日本に未知の技術や新しい文物をもたらしたことは周知の通りだ。文物交流ルートの先駆けとして、いま尚歴史に燦然とした光を放っているシルクロードは、現在の私たちの言葉を借りるなら「アジアゲートウェイ」とでも呼べるのではないか。
 興福寺の阿修羅像の話をすると、普段私たちが使う「修羅場」という言葉、この語源は「阿修羅」に起因したものだ。イラン、元々はゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーの「アフラ」が「アスラ」に転じ、それがやがて仏教に取り入れられた。サンスクリット語で「アス」というのは「命」という意味であったことから、この観点から見れば阿修羅は善き神、善神と見なされてきた。
 他方、同じくサンスクリット語で「ア」は否定の意味、「スラ」は「天」であるから、アスラはすなわち「天ではない」という意味。そのような意味に訳され、あまり芳しくない意味合いを与えることもある。いずれにしても、ヒンドゥーあるいは仏教においては、必ずしも良い存在ではないということだ。良いイメージばかりが定着している訳ではなく、帝釈天とよく戦うことになったという、ややクセのある解釈もされている。やがて一部においては、恐るべき鬼神として考えられるようになった。
 しかし、これはもっぱらヒンドゥーを中心にした見方であり、仏教に入ってからは仏法を守護する八部衆の1つとして取り入れられている。「阿修羅」という漢字は中国で当てはめられた訳だが、この言葉に見られるように、シルクロードを通じてインド、イラン、あるいは西アジアから、私たちが日常で使う語彙も伝わってきた。
 また、遣唐使や遣隋使などの中国に赴いた日本人の祖先たちが、中国から多くの芸術を持ち帰ったことはよく知られている。すなわちわれわれは中国やシルクロードから、律令制度や法律、あるいは文物だけでなく、芸術的な面においても多大な影響を受けてきたのだ。
 以前、慶州で今回のシンポジウムと同じ様な国際文化フォーラムがあったが、1970年に慶州と奈良が姉妹都市協定を結んだことは、まったくの偶然ではないだろう。おそらく日本で律令国家が制定される前後、そして奈良に壮大な仏教寺院が建てられた時期に、平城京と慶州は互いに何らかの形で意識し合っていたのではないか。
 文明の変容ということでいえば、例えばオスマン帝国、トルコの場合はハギヤ・ソフィアというギリシャ聖教の有名な教会があるが、それをモスク(イスラム教の礼拝堂)として保存している。一番大事なのはそこで、壊すのではなく保存したということ。文明の基礎である遺跡や歴史的なモニュメントを次世代に継承し、その影響から新しい歴史が作られるということの例を、スペインとトルコは示している。
よく日本人、韓国人、中国人はどうだと例えられるが、まったくの純粋な人種というのは存在しないことから、そのような議論は馬鹿げたことだ。人種主義は成り立たないというのが、そもそもの基本である。その人間の才能、メリットは何であるのか。血や人種でものを見るのではなく、それぞれが文化や宗教、言語といったものによって皆が一緒に生きようとする意志、共同体への関わりを持とうとすることが非常に肝要なのだ。
 今日、シルクロード地域は新時代を迎えており、西ヨーロッパ、中東、インド、日本、中国は、再びシルクロードと互いに結びつく可能性をもっている。道路、パイプライン、コミュニケーションラインなどによってだが、これによってユーラシア大陸全体に、大きな反映がもたらせられるだろう。
 古代のシルクロードは経済、貿易発展のために開かれたものだが、私たちが今シルクロードに期待するものは、やはり国際的な安定化のための用途である。だが今日の現実をみるに、シルクロードに対する期待を実現させることは非常に困難だ。その理由は政情が不安定な地域、不十分な道路や鉄道のインフラ、各国の通関手続きの不一致、またエネルギーやコミュニケーションラインの不足などによるものである。しかし、安全保障、民主主義、人権の擁護、自由な市場経済を主とした共通の目的、平和を実現させるため、国際的な協力や連帯感が高まっているのもまた事実だ。
 これまでもトルコは、平和で安定した協力的な地域、国際環境を生み出すべく努力を続けてきた。中央アジア、カフカス諸国においての地域協力の呼びかけなど、紛争解決の貢献を目に見える形で行ってきた経緯がある。
 具体的な例を1つ挙げると、アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)に対する貢献で、トルコは2回にわたってISAFの指揮を取ってきた。こういったアプローチにおいて、私たちはパキスタンの治安維持を非常に重要視している。
 トルコと日本は、これまで1世紀以上にわたり友好関係を続け、2010年はトルコにとって「日本年」となる。代表的なイベントとして、トプカプ宮殿や博物館などで、日本の最も美しい磁器のコレクションを展示する予定だが、これらの品々もその昔シルクロードを通じて運ばれてきたものだ。トルコと日本の国際的な関係を再び活性化させることは、すなわちシルクロードの再活性化を意味する。
 シルクロードを使ったより自由で楽な貿易を可能にする環境づくりのためには、各国の十分な社会基盤ときちんとした法律的制度の導入が不可欠だ。法的な制度は各国家間の問題であるから、私はここで国境を越えたインフラプロジェクトについてお話ししたい。
 今、トルコは中央アジア諸国間での輸送、またヨーロッパと中央アジアでそれを可能にするため、2つの鉄道建設プロジェクトを計画している。イスタンブール海峡下の海底鉄道と、もう1つはヨーロッパ、コーカサス、中央アジアを結ぶ鉄道建設である。
輸送路の多様化の他、シルクロード地域諸国の発展のためには、石油、天然ガスなどのエネルギー資源をいかにして確保し、世界市場に安定して供給できるかが肝要になる。それはつまり、シルクロード近隣諸国をグローバル経済に統合していくということだ。
 そしてシルクロード再興になにより重要なものは、やはり人間同士の繋がりだろう。互いの文化に対する理解と尊重をもった上ではじめて可能な、文化的な対話が必要である。文化の多様性を受け入れられなければ、真のグローバル社会は生まれない。私たちが何らかの形で他人の考えを心の中に取り込もうとしなければ、他者というのは永遠に他者のままだ。それを成していた400年前のシルクロード地域は、まさにグローバル社会そのものだったと言える。
 今日シルクロードは私たちに様々な可能性を提示してくれ、また政治的、商業的、社会的な観点からも、シルクロードを現代に再び蘇らせることは、われわれに課された使命なのだ。
 
 シルクロードという言葉は、今から130年前にオーストラリアの地理学者、リヒト・ホーヘンによって生まれた。当時、シルクロードは中国の長安からトルコのイスタンブルあたりまでとされ、交易品は主にシルクと限定的なイメージがもたれていた。しかし、ユネスコが1987年から10年間にわたり行った調査によって、シルクロードという概念が広く一般に知れ渡り、ネーミングの良さが転じてその後「海のシルクロード」という言葉が生まれた。
 海のシルクロードは、西はヨーロッパの奥地から、東は日本列島、さらには米国やアフリカにまで及ぶ。交易品はシルクのほかに陶磁器や香料、漆などとされ、今では奈良がその終着点として位置付けられている。中国を境目にした西側の砂漠のシルクロードと、東側の海のシルクロードの特色、役割は何だったのか。
 中国は紀元前、秦の始皇帝のころにシルクを西側諸国に輸出し始めたものの、その製造技術は極秘だった。シルクの秘密は蚕とクワだが、その技術がヨーロッパに伝わったのは552年とされる。
「魏志倭人伝」を読むと、砂漠のシルクロードが開かれた初期、すなわち弥生時代に日本人はすでに蚕を養殖し、シルクを生産していたことが分かる。そして中国にシルクの中でも高級な錦を輸出していた。これは卑弥呼が輸出したもので、「倭錦」とか「大和錦」と呼ばれるもの。砂漠のシルクロードを「絹の道」というなら、海のシルクロードは「蚕の道」といっていいだろう。
 日本から中国に赴いた遣唐使が、朝貢品として献上した品のほとんどはシルク製品だった。朝貢品は毎回非常に喜ばれ、その返礼として中国側からもシルク製品が送られたが、遣唐使たちはそれを日本に持ち帰らず、全部売ってしまった。面白いことに、そのお金で遣唐使が買ったものはいろいろな分析、解説が載った書物だった。これがまず、シルクを求めて中国に来た西側の使節と、書物を求めてやって来た東側の遣唐使との相違点といえる。
 奈良の正倉院は、海のシルクロードの博物館とも言われる。遣唐使が日本に持ち帰った本は、今私たちが読んでも感化を受ける。中国人と日本人は古来から同じ本を読み、同じ感銘を受け、互いにその心象風景を文化創造に活かしてきた。そうして作られた文化が似ているのは当然のことで、それがまさに中国と日本の最初の文化交流だった。
 文明の衝突をマイナスに理解することもできるが、プラスに捉えることもできる。カリフォルニア大学のシェファー教授の著書「サマルカンドの金桃」を読み、唐の時代の文化はすべて外国から伝わったものだと知って愕然としたことがある。
 唐の時代は、一般的に最も中国らしい時代というイメージがあるが、実は一番中国的でない時代だった。支配者は本来純血であるべきなのに、実際は8割以上が突厥(とっけつ)との混血だった。さらには女帝の則天武后まで全員が混血児で、純血の帝王は1人もいない。突厥と西側の遊牧民との境界線、故郷の辺境を守る使命、責任を負わされ、突厥を防ぎながらも、実は結婚もしていた。争いながらも一方で融合するという、非常に顕著な例ではないか。
 そして唐はシルクロードによって受け入れた文化を、今度は朝鮮半島や日本に広げた。大量に飲み込むから、大量に吐き出すことができる。私はこれを「呑吐力(どんとりょく)」と呼んでいる。純粋の文化とか、雑種の文化とかの言い方にこだわるのはナンセンスだ。文化は時代ごとに変わりながら継承され、対立があって、融合があるのだから。

 
 シルクロードは、単なる東西の通商ルートや交通路ではない。東の中国と西の地中海を結びつけるほか、遊牧民の住む北と、農業民族が住む南を結びつける存在でもあった。
 韓国国内でも、シルクロードへの関心は高い。朝鮮もかつてシルクロードや海上ルートを通じてユーラシアの国々との交流があり、文明の交流を紐解くことで、韓国の文化や特質を理解しようとする試みが行われている。
 しかし、日本や西洋諸国が持っているような問題意識は希薄だ。韓国ではシルクロードの東西ルートばかりが研究対象で、南北との関わりはほとんど触れられることはない。今後は、シルクロードが朝鮮半島に及ぼした歴史的な影響、それも東西南北からなる総合的関係の中で、どのような影響を与えたのかを研究しなければならない。
 そして、朝鮮はいかにして東アジアの限界を克服し、ユーラシアという世界の中で飛躍することができたのか。このようなアプローチの仕方はユーラシア的視点とも言えるが、その視点を持つためには、ユーラシア地域間でどのような交流があったかなど、さまざまな調査が必要となる。東アジアを中国中心型の視点で見るのではなく、ユーラシアから見る視点を持てば、いろいろな国の文化的アイデンティティをより正しく理解することができるようになるだろう。
 混血という視点から朝鮮史を見ると、朝鮮の人々には北方民族の血が流れていることが分かる。朝鮮半島はその昔モンゴル人に侵略され、約1世紀にわたって支配を受けた。朝鮮王朝の王子がフビライ・カーンの娘と結婚し、その息子、つまりフビライの孫が朝鮮王朝の王になった。そしてその王がまたモンゴルの王女と結婚するなど、朝鮮王朝が終わるころには、王家にはモンゴルの血がかなり入っていたといえる。また当時の各王の姓名を調べると、それぞれ初めにモンゴルの名前がついていることも分かった。
 朝鮮半島は北方の遊牧民、そして中国から様々な文化的ルーツを取り入れてきたが、海上ルート(海のシルクロード)から取り入れたものも多い。例えば慶州ではビーズなどのガラス製品業が盛んだが、これは技術レベルから考えると、直接インド洋を通じて入ってきたものと思われる。このように東西南北から様々な文化を受け入れてきたことが、現在の韓国の文化の多様性を成したのではないか。
 朝鮮は昔からシルクロードと深い関わりをもってきたが、関わりをもちやすい有利さという意味では、それは今も変わらない。というのは今も30〜40万人の朝鮮人が、この太平洋地域からタシュケントやカザフスタンなどに移り住んでいるからだ。つまり、中央アジアに大きな足場を築いているということである。
韓国政府はこのグローバル化の時代にあって、釜山からユーラシア大陸まで続く鉄道を開通させたいと考えている。しか分断による影響で、南北はとても難しい関係が続いている。シルクロードをかつてのように発展させるためには、南北の関係が改善されなければならないし、それはまた日本にとってもメリットがあることだろう。
 朝鮮が儒教を受け入れる前の新羅、高句麗時代、朝鮮はシルクロードやユーラシアに対してもっと開かれていた。しかし、儒教を取り入れたことで、文化交流の門を閉ざしてしまった。
 朝鮮の儒教の時代が終わり、今私たちはちょうどアイデンティティの再定義をする時期に差し掛かっている。そのためにもシルクロードは非常に重要であり、私たちにさらなるパースペクティブ(展望)を与えてくれる存在なのである。