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1945年8月15日に民族は解放、日本は終戦を迎えた。朝鮮はなぜ分断したのだろうか。
38度線の設立案は、当時米国で立案された。日本が最初に降伏を協議した1945年8月11日、米国陸軍長官は朝鮮にいる日本軍の降伏受理と武装解除について、38度線以北はソ連軍が、以南は米軍が分担すると規定した具体案を提出した。これがマッカーサー連合最高司令官による一般命令第一号の草案であった。
8月14日、トルーマン大統領に提出され、大統領の決済を受けた後、15日、マッカーサー総司令官に伝送。このようにして、38度線を境に日本軍の降伏受理を規定した「連合国最高総司令部命令第一号」が9月20日に公表されるに至った。
38度線の設定は米ソ両軍による日本軍の降伏受理のために、臨時的な便法として取られた暫定的な軍事措置であって、朝鮮問題は、連合軍米ソ両国の第二次世界大戦の戦後処理問題として発生し、1948年南北にそれぞれ主権国家が発生し、1950年朝鮮戦争を経て南北分断が決定的になったのである。
分断の歴史的契機を見ると、日本の植民地支配が直接的起因をなし、冷戦の走狗となった李承晩政権、金正日政権の武力統一路線が主体的要因になっている。
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